砂糖水と雑記帳

なんでもない日常の雑記帳

ある俳優さんの訃報と私が思う事

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断食を終えてからの私は躁状態とも呼べるほどに調子が上向きでした。なんでも肯定的に受け止められる様な、何処からくるのかもわからない自信の様なものを持ちつつ生活をしていたんです。

自分自身でも躁状態に近いと感じていました。上がったものはいつか下がってきます。その日が何時頃来るだろう?と考えていた矢先、とある俳優さんの死を知りました。

そして、私の躁状態の終わりが見えた気がしたのです。

 

 

 

 

繰り返す波

調子が良い時と悪い時、波のようにそれらを繰り返しながら生活している私。調子が良ければ躁、悪ければ鬱、です。

波のふり幅はその時々違いますが、躁と鬱の状態を繰り返しています。

だから、調子が良ければ「今は躁だな、気を付けよう」となり、悪ければ「鬱だな、早くマシになりたい」と思います。

 

これは私に限った事ではないと思っています。誰しも、調子の良い時と悪い時があります。ポジティブな人だって落ち込む事はあるでしょう。ただ、そのふり幅が人より大きいだけ、と言ってしまえばそれまでですが、付き合っている自分としては面倒だと感じる事もあります。

 

躁になれば金遣いが荒くなり、気も大きくなってしまいます。

鬱であれば消えてしまいたいと思い、自傷をします。

 

できるだけ感情のふり幅が平たんなまま生活したいと思うのですけど、それでは感情の無いロボットになってしまうような気がして…。

付き合い方が難しい、と思うのです。

 

悲しみ

この記事を書く前日まで躁状態に居た私。今はその時よりも落ちて、どちらかと言えば鬱に近い所に居ます。

躁と鬱の揺らぎは何でもない日常の出来事がキッカケになったり、疲れから来るものであったりと色々あります。毎日生活していれば大小の刺激を受けずにはいられないので、仕方のない事です。

 

今回、躁から鬱へ転じたキッカケはとある俳優さんの死を知ったから。朝一番にネットでニュースを見ていて知りました。

その俳優さんの熱狂的なファンであった、とは言いません。でも、私が青春時代に熱狂した作品に出ていた方で、その方が出た舞台を観に行った事もあるのです。爽やかな笑顔が印象的で、ムードメーカーの様な立ち回りをされている方でした。

私が学生時代に購入していた若手の俳優さんを特集した雑誌では料理をされていて、料理上手な方、という印象もありました。

最近はその方が出演している作品を見る事は無かったのですけど、でも、テレビをつければ自動車学校のCMでその方を見ていました。変わらない笑顔で、爽やかで…。

 

まだ30代だったんですよね。突然の事だったのだと思います。突然の事で無かったのだとしても、死を知るという事は悲しい事です。もう、あのCMも見れないのだな、と思うと、それだけで悲しみが増すような気がします。

 

日常に滲む

誰かの死のニュースというのは悲しいものです。それが身内でなくても、悲しみは感じます。

でも、私には私の生活があり、生かされている間は生きていかなくてはいけないでしょう。鬱に落ちこめば消えてしまいたくなって苦しい思いをしますが、それでも死なないという事にはなんらかの意味があるのかもしれません。

 

躁状態から少しの鬱状態へ転じた今。この記事を書いている今日この日は、その俳優さんの事を考え、思い出す時間が多く一日を過ごす事になると思います。でも、生活の中でそのニュースは滲んでいくのだと思います。

父が亡くなった時もそうでした。時間が解決する、という事なのかもしれませんが、心の陰りは徐々に薄くなっていくでしょう。

 

嬉しいニュースや良い出来事だけに囲まれて生きていく事ができないという事は分かっているつもりですが、悲しい物はやっぱり悲しいし、ショックな事はショックです。

朝、いつもよりもお仏壇に手を合わせる時間が長くなったのは、父だけでなくその俳優さんの事を考えたから。

日常で目にしないようにしている死というものが、俳優さんの死によって私にぶつかってきた気がします。それは、父の時も同じ。いつかは祖母も…などと考え始めてしまうと、本当に鬱から抜け出せなくなりそうなので、今日一日の時間を使って思考が滲んでいってくれるのを待ちます。

 

 

 

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