『人の寄る家かそうでないかは女で決まる。そして人の寄る家は良い家だ』
というのは、祖母の父が常々口にしていたことだそうです。
祖母の家の家訓だったらしく、とにかく人が寄ってくる家にしなさい、と言われていたらしい。
力量
昔は男性が外で働き女性が家を守るというのがまぁ、当たり前の世の中だったんですよね。
かなり昔のことにも思えますけど、祖母が幼い頃はそれが当たり前と考えていたわけで。そう考えるとそう昔のことでもないな、と。
男尊女卑とは言わないけれども、女性は家のことを切り盛りするのが当たり前だと考えられていたので、家の空気感を作り、人様が来たら嫌な顔せずお茶やら食事やらを出し、おもてなしをする、それが良い家だ、というのが祖母の父の考え方だったようです。
そして、祖母の母はそれを当たり前の様におこなっていたそう。
幼い祖母も、誰とも知れないおじさんに頼まれてはお皿を持って来たりなんだりとちょこまかしていたらしいです。
そう、人が寄る家とは、男の人が寄る家。
夜になって、父親のお友達(だろう人達)が家に集まり、酒盛りをする。
それに対して女の人たちはおもてなしをしなさい、というのです。
人と言っているのだから、女性だってお家に集まって良いじゃない。
お母さんのお友達とか集めて女子会的な、井戸端会議的な、ワイワイしたっていいじゃない、と思うけれどもそれは許されないのですよね。
うーむ。
時代なんでしょうけれど、今の時代にこの考えは通用しないよね。
でも、祖母が幼い頃はコレで通っていたわけで。
私がお婆さんとかになる頃に、世間はどうなってんだろ、って思うなぁ。
好き好き
さて、幼い頃に誰とも知らない男の人たちが毎晩のように家に集まり父親と酒盛りをしていた環境に育った祖母。
「家に人が集まることが、とんじゃかない」と言っていました。
私が育った環境は、会話の無い家で。そんな家に人が集まるはずもなく。
正直、親戚のちびっ子がやって来て家でわちゃわちゃと遊んでいるのも違和感を感じるタイプです。
別にちびっ子が嫌いなわけじゃないんです。可愛いなぁって思いながら眺めてますけど、家でワイワイする感覚がよく分からないというか、そもそも私の身には染みついていないこと。
家とは音のしない、人がいるのにその気配すら感じられない場所、というのが私の刷り込みなので、何かの行事で人が集まったり、家で賑やかにしているというのがとても違和感なんです。
ここまで極端ではないにしろ、家に人様を上げるのはちょっと…と思う方も居るんだと思います。
逆に、祖母の様に人が家に集まることを何とも思わない人も居るわけです。
祖母のような人の方が、お客様が来た時の対応は慣れてますよね。
私とかだと、ドギマギしてしまって。お茶を出すのが精一杯な気がする。
あ、『とんじゃかない』っていうのは方言です。
我が家の会話ではよく出てくる単語ですけど、私も正確な意味は把握してません。
まぁ、気にしないとか多分そんな感じのニュアンス…。
そんなもん
幼い頃の家庭環境とか、過ごした感じって大人になっても何かしらの影響が出てくるんですよね。
良くも悪くも。
三つ子の魂百までとか言いますけど、それは本当なんだろうな。
祖母を見ていると思います。あと、祖父も。
つまり私もそういうわけですよね。このままお婆さんになるんだなぁと思うと、げんなりしますけど。
育った環境のせいにはしたくないし、全部そこで片づけられないにしても、なんだか私の人生がハードコアすぎて…。
もうちょっと低い難易度の選択は出来ないんだろうか。
もう27年もそのモードで生きてきてしまっているから、ゲームの途中での難易度の変更は出来ないのかなぁ…。
ホームパーティーとかするパリピ的な、陽キャ的な、そんな人間にはなりたいとは思わないですけど、でも、もうちょっと人当たりのいい人間になれたらなぁって思うのです。
愛想の無さの極みっぷりが半端ない。せめてそう言う部分は祖母に似たかった…。