砂糖水と雑記帳

なんでもない日常の雑記帳 ~猫と暮らしてゲームして~

癒された分、吐き出すものも大きい。

カテゴリーに迷ったのですが、多分というかかなり好き嫌いが分かれるであろう無いようになりそうなので、雑記にするのはやめました。

ということで、盛大にひとりごと。

号泣

涙腺が緩い(緩くなった)という自覚が大いにある私。

今もついさっきまで号泣していました。

…と書いて思ったのですが、号泣ってどれくらいの涙を指すのでしょう?

調べてみたら『大声を出して泣くこと』とのことなので、私は号泣はしていません。

普通にボロボロ涙をこぼしていました。

さっきまで泣いていた理由、それは自分に関すること。

別に悲しいことがあったとかそう言うことではありません。

嬉し泣きでも、ありません。

スピについて勉強中の身でして、アカシックレコードリーディングとかチャネリングとか、そういう技術を身に着けようと練習をしている最中です。

その練習で泣いたというのが、さっぱりとした涙の理由。

詳しく書くととても長くなるし、人によっては「何言ってんだコイツ?」となる内容なのは分かっているので細かくは触れません。

しかしながら、自分の存在を肯定できる要素を見つけられたので良かったと思っています。

涙が落ちる

ドラマや映画などものを見ていて泣くというだけが涙を流す理由とは言えませんよね。

本当の意味でのスピリチュアルカウンセリング(心理学の方の話)でも、魂に触れる経験をすることで涙がこぼれることがあります。

もっと分かりやすく書くなら、インナーチャイルドとかトラウマとかそういう内面の傷とも言える物に触れた時。

痛みだけでなく癒しが起こることがあります。

それは、きちんと自分で自分の本質に触れられたことの証拠なのかもしれません。

カウンセリングの場において、そのカウンセリングを成功させるか失敗させるかは、カウンセラーの優秀さではなく、クライアントの側にあるということをご存知でしょうか?

クライアントがきちんと自らの内面を顧みる、心や魂に向き合うスタンスがあるかどうかというのが、大きなポイントになってくるんです。

そもそもこのスタンスを持っているクライアントの場合、すぐに悩みを改善する道に行ける。

その前提を持っていない(概念として知らない場合もある)と、セッションの回数やかかる時間が増える傾向にあるのです。

プロの力を借りて二人三脚的に癒しに向かって行くのも一つの手段です。

ただ、そもそも人間はみんな自らを癒す力を持っているという事実を忘れてはいけないと、私は思います。

 

なんてことを、ボロボロ泣いた後に思っているのでした。

別にあなたが癒されるなら、それはカウンセリングとかスピ的なことでなくても良いと思います。

自らの本質に触れ、癒される時間と経験が出来るのであれば、どんなものでも良い。

ただ、自分で自分を癒せるという前提を持っている必要はあると思います。

あと、困ったら人に助けを求めるのも大事。

そういうバランス感覚を頭の片隅においておきたいなーと、思ったのでした。

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