辛いだろうと思っていた今回のべらぼう。
想像以上にしんどくて、ドラマを見ながらボロボロと泣いてしまいました。
正直「ここまでやるか…」と思わずにはいられなかった。
斜陽
平賀源内という人の最期について、うっすらとは知識がありました。
大河ドラマが始まった時にYouTubeの歴史を分かりやすく教えてくれるチャンネルで紹介されていたんです。
だから、ドラマ内でも幸せにはなれないと分かっていました。
あんなにも格好良かった源内先生。
孤独にまみれ、陥れられ…。
蔦重が新居を訪ねて物語を書いて欲しいと頼んだ時のあの笑顔が悲しすぎました。
多分、源内先生からしたら純粋に自分という存在を求めてくれる蔦重は眩しく嬉しい存在だったのだろうと思います。
ずっと歩んできた意次からも見放されたような状態だったからこそ、あんなにもやる気になって物語を書いていたのでしょうね。
普段の源内先生であれば意次との口論があっても、そこから徹底的にダメな方向に転がるなんてことはなかったはず。
それがあんなふうに落ち窪んでしまったのは、やっぱり孤独感なのだろうと私は思っています。
蔦重に頼まれ書いた物語が、意次と自身が悪に立ち向かい暴く話。
ここから、源内先生にとって意次も蔦重とは違う形で眩しい希望の存在だったのだろうと感じました。
物語の中でなら、硬く結ばれた絆は変わらず、立場は違えど良い友人のまま…。
あの有耶無耶になってしまった手袋事件の続きをきちんと源内先生なりに終わらせたかったのだろうとも感じます。
世間では「邪魔者を処理した」と意次犯人説なんてのも出ていたらしいですが、これもドラマ内であまりにも悲しく切ない形で描かれていましたね。
立場が違えど、本当に友だった。
獄中に居た源内先生は、わざわざ会いにきてくれた意次を思って、少しはその孤独が緩んでいたのかもしれません。
だからこそ、ドラマの中で源内先生が最後に触れた温もりが、毒入りのお湯(お茶?)だったのだと思うと、本当にやりきれない。
自由に羽ばたけ
ドラマの中で明確に源内先生の死の描写があるわけではありません。
これは、朝顔姉さんとは違うところですね。
だからこそ、「わからないなら楽しい想像をする」という蔦重にとっての救いがありました。
「彼はきっとどこかで自由に飄々と生きている」それが、蔦重と視聴者へ残された救いだったのではないか、と私は想像します。
毒入りの何かを飲まされたのではなく、本当にただ暖かいお茶だった。
それを差し出してくれた役人は源内先生のファンで、ひっそりと彼を外へ逃がしてくれた。
そう思うことで、
大好きな推しを大好きなまま私なりに見送ろうと思います。