
関ケ原の合戦が描かれたどうする家康43話。
戦には高まらないのであんまり期待はしていなかったのですが、見ていて面白い部分もありました。
ということで、本日も感想雑記です。
でっかくなったね…!
大なり、小なり。
天下分け目の戦というだけあって、大規模な戦。
人数だって過去の比ではない…そんな関ケ原の合戦。
家康の陣と三成の陣は、とても対照的に描かれていたように感じました。
陣というよりも、それぞれの大将の描かれ方と言った方がよいのかもしれませんが。
家康はかつての武田信玄のような、どんと構えて動かず、多くを語らず。
家臣たちもそれに従いながら、大戦の前にしてはずいぶんと穏やかな空気を纏っています。
以前に前田利家から龍と言われた家康。
それを自ら体現するような、そんな在り方に見えました。
一方の三成は、まぁ人らしいというかなんというか。
そもそも若い彼らにしてみたら、家康というのは伝説の人物にも近しい認識らしいので、浮ついてしまうのも仕方ないし、戦ってだけでソワソワするのも分かる。
そのなかで、小西行長が「デウスの加護を」と伝えていたのは、三成側の頼るべき神がソレだからなのだろうという印象付けもありそう。
徳川勢の神は、言わずもがな家康です。
ドラマとしては、乱世を総括して終わらせる1回だったのだろうと受け取りました。
そのために振り返って、ピリオドを打って。
必要悪と言ってしまえばそれまでですが、そういう回だったんだろう。
今回はとにかく家康の成長(変化)が大きく感じられた回だったように思います。
過去を振り返るような言葉もありましたが、積み上げてきた徳川家康という人間の描写が濃かったような感じ。
その姿に大きくなったなぁと感じてしまうのは、1話から見続けてきた視聴者だからでしょうか。
歳をとったというよりも、大きくなったという言葉の方がしっくりきました。
コモノ感
家康が戦場に居た一方、阿茶局は茶々と対峙していましたね。
今までは底知れない化け物感を感じていた茶々でしたが、阿茶局の前では超小物感あふれてて…。
なんていうか、尻すぼみな描かれ方なのかな…っていう。
圧倒的に阿茶局の勝利だったあの場面。
どんどん茶々という人物が劣化していっているようにも見えましたが、どうなんだろうか。
秀吉が居たからこそ、茶々も面白かったのかもしれないな~と思わずには居られなかったです。
どんどんつまらない人間になっていって残念。
2つの見方。
捕らえられた三成と家康の最期のやり取りの場面。
家康からすると期待をかけていた若者に裏切られた感があったのかな、と見ていました。
その一方で三成は「乱世を望む心が誰しもある」と言っていましたが、あれは彼の本心なのでしょうか?
家康を揺さぶりたいためのハッタリだったのかな?とも見えたのですが…。
ま、ハッタリだったとしても家康には通用しなかったけど。
三成からすると大きな戦とか戦での活躍っていうのは、憧れる一面があったのだろうと思います。
それこそ、秀吉やら家康やら、伝説を背負った人間のひとりに自分もなりたいと思うのは自然なことでしょう。
そういった考えで本心から乱世を望むというのは分からないでもない。
ただ、家康からすると悲惨な現実を見てきているわけだから、その想いを受け取れるはずもなく。
ただただ「ガッカリ」で終わったんだろうなぁと。
時代は変わらない、戦の無い世など作れない、というのは当時の人間のごく自然な考えだと思います。
産まれたときからそういう状態なら、それが自然だしね。
ただ、そういった世の中で「戦の無い世を作る」と訳の分からない事を言っている人間も、時には必要でしょう。
そういった可笑しな誰か1人が、実際に世を変えていくわけで…。
そう考えると瀬名もその可笑しな人間の1人だったのだろうなぁ、と振り返ることが出来ます。
彼女のことを好きにはならないし、評価も変わりませんけど。
バタフライエフェクトとしては必要だったのだろうな、っていう。
さて、次回。
次回はいよいよ幕府誕生らしい。
次回予告の映像で、忠勝たちが一気に老いていてびっくりしました。
きっとスキップ的に時間が進むのでしょうね…。
ドラマでどこまで描いて終わりなのか…。
家康が亡くなって終わりなのだとしたら、これからは内側のゴタゴタとか、2代将軍への橋渡しのゴタゴタとか、そういうお話に移っていくのかな。
どうなるんでしょうかねぇ。
