どうする家康、今回でついに40回を迎えましたね。
気づけば年末もちらちら見えてくる時期で、こちらも終わりに向かっている感じがひしひしとしています。
なんて、振り返るのは早い気もしますが…。
まだまだ待つ家康、でしょうか。
人の心うんぬん
以前に三成に関して、「なぜあんなにも秀吉に心酔しているのか…?」という疑問を書きました。
これに関して「自分を拾ってくれた恩義」と言っていた今回。
正直それに関しては分からないでもないけど、頭が良いとされる彼がここまで盲目になるのが、謎。
寧々が真っ直ぐすぎると評するくらいの人間なので、それ故なのでしょうか?
たとえ話としてどうなのかとは思うのですが、周囲からも頭が良いと言われるような人が謎の宗教にハマってしまう…とか、そういうヤツなのかなって思ってしまった。
あと、わりとありがちなところで言うと、頭は良いけど人の気持ちが分からないタイプの天才としての見方もあるのかな?と。
加藤清正や福島正則らとの衝突の理由も、彼は分かってないんだよね、多分。
そもそも三成って戦経験がほとんどないと言われることが多いイメージですが、あの段階で年齢としてはどれくらいなんだろう?
立ち位置や役職としても、戦場に出て武功を立てる必要性はないところにいるんでしょうけど。
現場の事が分からないお偉いさんって感じなのかな。
しかも若いから、より揉めるというか、何というか…。
ここで愛嬌でもあれば、また話は変わったんでしょうけどね。
オロチの家康
見舞った利家から「強くなり過ぎた」と言われた家康。
確かに、完全に乱世が終わったわけではないにしろ、彼が経てきたような戦は減っていたのでしょう。
だからこそ、唐へと戦を仕掛けたのかもしれないし。
源平合戦やら神話やらと並ぶような、そういう存在になってしまっていた家康。
だからこそ、のらりくらりとタヌキのような振る舞いが出来ていたとも考えられます。
あの時の、あの家康に突っ込んで文句を言える人など居なかったのでしょうし。
それは家康だけでなく、忠勝たち家臣にも共有される見られ方ですよね。
鎧装束に身を包んだ若武者(年齢は分かんないけど)を、普段着のまま一喝して引き上げさせられる力が忠勝にはある。
家康がじっくりと腰を据えて待っていたからこその、力ですよね。
これ以降の歴史の流れがふわっとしか分かっていないので、このまま関ケ原へ直線的に流れ込んでいくのか、はたまた寄り道しつつなのかは謎でいます。
ただ、お話が進めば進むほど三成の小物感が増しに増して…。
初登場の時には、まだ幼さが残る若々しい青年と受け取っていましたが、正直ここまでくると「一周回って馬鹿なのでは…?」と思わずにはいられない。
秀吉という沈んだ船にしがみつく理由も、私としては納得できないままで。
「私は間違っていない」の一点張りなのも。肩書ばかり大きい政治家さんみたいだよねぇ。
三献茶の逸話もあるくらいの人物なのに、その才能は成長過程で捨ててしまったんだろうか…?
少なくとも今回は三成へのハテナばっかりで、茶々のことなんて気にもなりませんでした。
これから、どうなっていくんだろうか。
家康の周りには頼りになる人たちがいるけれども。
戦うってなった時に一枚岩になれなさそうな豊臣勢には首をかしげるばかりです。