砂糖水と雑記帳

なんでもない日常の雑記帳 ~猫と暮らしてゲームして~

【どうする家康】ウサギが統べる世の始まり

徳川幕府が誕生した今回のどうする家康。

オープニングが映像と音楽どちらも大きく変わっていて、時代が動いた感覚が強く感じられました。

今まで黒が強かった画面が白メインになって。

いよいよ戦の世が終わるのね、って思えた。

ウサギが跳ねる世

オープニング、2羽のウサギがぴょこぴょこと跳ねている様子が可愛かった。

そして本編始まって久しぶりの登場の於大の方

寧々さんに家康が実は虎ではなかったという話をしていました。

今まで自分が寅年生まれであると信じていた家康にとっては、かなりのビックリ情報。

それでも、時代が変わっていて虎が不要になったのだと考えると、とても感慨深いものがあります。

それは、家康が虎である必要性が無くなった、ということ。

忠勝や康政たちからも見えてくる、時代の変化。

これからはウサギが世を統べていく、そんな未来を感じさせました。

於大の方、当初はかなりトんだ人というか、わりと強めな女性なのだと思っていましたが、きちんと家康(竹千代)の本質を見て分かっていたお母さんでしたね。

そもそも産まれたばかりの時に「寅年で寅の刻の…」とか言ってましたけど、成長していくにつれて息子がそういう気質ではないということも理解していったのだと思います。

その上でキツい事を言っていた。

戦国のあの時代で、松平家のあの立場を考えれば、そうすべきだと判断してのことなのだろうなぁ…と。

もちろん、多少の若さゆえてきな部分もあったのかもしれないけど。

彼女は彼女なりに母として頑張ってたんだろうなぁ~って思うと、何とも言えない気持ちになります。

きっと家康自身も歳をとっていく中でそういう部分を理解していったんだろうし。

だからああして2人で向き合って話が出来て。

良い親子だったんだろうね。

転換していく。

家康が将軍になるとか幕府をひらくとか、そういう部分は本当にあっさり流れ…。

その分時間を割かれていたのが、老いた忠勝と康政の2人だったように思います。

歳には抗えず、それでも自分を必要だと言ってくれる主君を思い。

忠勝が何度も自分の絵を描き直させていた理由、最後に掛けられたその絵を見て涙でした。

きっとあの2人は幸せだったんだろうなぁ…って。

もちろん2人だけでなく、家康の家臣たちはみんなそれぞれにある種の幸福感とか充足感があったのだろうと思いますけど。

偉大な徳川四天王がみな居なくなってしまいましたね。

そして偉大なる凡庸にバトンが渡され…。

秀忠、彼もウサギなのだと思っています。

だからこそ、彼のような人物が世を統べることが出来るというのが大事になってくるんだろう、と。

「上手くできたら家臣を褒め、失敗は全て自分の責任」という家康の言葉、秀忠ならばそれを素直に受け取り実行できるんだろう、と私は思いました。

それを分からせるためにも、わざと関ケ原での事を大勢の目のある場で大きく叱ったりしてたんだろうなぁと。

家康も言っていましたが、秀忠には肩を並べてくれるような家臣の存在って無いですからね…。

歪もうと思えばいくらでも歪めるポジションだと思うんです。

ただのボンボンになるか、空想で鼻を伸ばして天狗になるか…。

そうなってしまわない様に、抉るくらいにぼきーっと鼻を折ったのかなと。

父親が厳しすぎてグレるパターンもありますけど、秀忠って根底に於愛さんの朗らかな強さを持っている人物に見えるので、凹んでも浮き上がってくるの早そうだなっていうか…。

そういうのも分かった上での、叱咤だったと思ってる。

ここも、良い親子関係なんだろうなーって。

大阪のプリンス

さて、次回は有名な寺の鐘にまつわる何がしが起こるっぽいですね。

そこから最後の戦に繋がっていく…アレ。

今回はほぼ茶々と秀頼に関して描かれなかったので、ここの親子関係はよく分かりませんけど。

一応立派な若者になっているわけですよね、秀頼。

ま、あの母親の元で育った結果の立派な若者って考えると、純粋にその言葉を受け取るのが難しい気もしますけど。

秀吉に似てるんだろうか?

それとも、茶々の要素強め?

家康の新たな時代を作るための最後の大きな仕事が始まるんだな、という感覚で今は捉えているので、どんな人物であっても消化試合的な見方しかできないかも…と思ったり。

ま、次回に期待ということで。

大河も終わりが見えてきたね。

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