常々ブログには書いている事なのですが、私は音楽を聴くのが苦手。
ドラマや映画を見るのも苦手。
これ等は苦手克服をしたい事柄なのですが、そもそもなぜ苦手なのかもはっきり分かっていないことでもあります。
苦手ゆえに無意識に避けてしまう傾向もあるのですが…。
それらの情報処理が苦手なのかな?と思った最近です。
インプットが苦手
音楽・ドラマ・映画などなど、私が苦手としている物はみんなインプットする物たち。
どうやら私はこの『インプット』が苦手らしい、と気づきました。
苦手というか、インプットした物に対しての情報処理能力がイマイチなために、消化するまでに労力が要る。
疲れてしまうから、結果苦手な事に分類しているんだと思います。
そもそも嫌々向き合っているわけではない物たち。
見たいと思っても見られないドラマや映画、聞きたいと思っても聞けない音楽…。
苦手な物の中に読書が入らないのは、本を読むのは自分のペースで行えることだからというのがあります。
相手(ドラマとか音楽とか)のペースで進んでいく物に対して、没入して楽しむというのが苦手なのです、多分。
最近は毎週大河ドラマを見ているし、刀ミュの舞台映像を見ることもありますが、そういう時って必ず別の事を考えています。
ふわふわと別の方向に思考を飛ばして、頭の逃げ道を作っている感じ。
そうしないと見て居られないんですよね…。
要る・要らない
アウトプットするためにはインプットが欠かせません。
私も詩作するので、それはとてもよく分かります。
が、私の場合欲しいのは情報のみ。
辞書とか辞典、Wikipedia的な情報が私の求める物。
逆に要らないのが、感情。
私が苦手とする物たちには必ず付いてくるものです。
私が他者の感情に左右されやすいタイプであるというのも理由の1つですが、そもそも私は私の中で物語を完結させている人間だったために、外からそういったモノを入れることに慣れていないんです。
創作は私にとって、口にできない感情を外に出す手段でした。
表現の範囲を広げるために、知識として情報は欲しいけれど、それに連なる感情は不要だった。
意図的に避けていたわけではありませんが、自分の意識が内側へと深くなるたびに、インプットが苦手になっていった気がしています。
租借疲れ
インプットの苦手を克服したい私。
少しずつでも色々な情報を受け取ることが出来るようになりたいと考えています。
ドラマとか映画とか、まだハードルが高い部分もありますが、頑張っているつもり。
苦手な中では比較的手を伸ばしやすいのが音楽だと思ってます。と言っても、疲れるのは変わらないですけど。
ただ、情報に触れた後に租借・嚥下・消化の段階が必要だということが分かってきました。
この3つのステップにとても時間を要する。
それを痛感したのが、Adoさんの歌ってみたを聞いたこと。
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知らない人は居ないであろう、歌い手のAdoさん。
音楽を聞かない私でも知っているし、いくつかの音楽を聞き、好きなアーティストさんでもあります。
神っぽいなに関しては、そもそも別の歌い手さんの動画を聞いていて、どんな曲かは知っていた。
その上で聞いたAdoさんのバージョンは、とても疲れるものでした。
マイナスな意味で言っているわけではありません。
情報量がとても多く、私には処理する時間がとても必要だったんです。
何日も時間をかけて、租借し嚥下し消化し…、そうしてやっと凄さと良さと面白さを感じられる。
今回はとんでもない衝撃と情報量だったので、「疲れた!」という感覚が1番大きく最初に出てきた。
けれど、どの情報に触れても同じなんだろうと分かりました。
ドラマとか映画とか、1本の時間が長くなるほど「疲れた」が蓄積する。
本当ならその都度休んで自分の中に落とし込みたいくらいに。
ただ、そんなことしているとドラマの1話を消化する前に2話が放送されちゃったりするペースになるので、結果ドラマを見続けられない…。
ドラマを視聴している最中に思考をふわふわさせるのも、話半分くらいで聞いていないとしんどいからです。
ただ、苦手な理由とかが分かっても、これをどう克服していくかの道がなかなか見えてこないのが辛いところ。
数をこなすのが手っ取り早いのかもしれませんけど…。
そんなことしたら、脳が爆発してしまいそうだ。