光る君へ第7話の感想雑記。
映像の光と打毬のシーンが印象的な回でした。
取り扱っている時代からして「大河っぽくない」という印象を持ちますが、今回は描かれ方でそれを強く感じました。
美しいドラマでした。
光が光る
タイトルにも入っている光という言葉。
今までドラマを見続けていても同じように描かれていたのだろうとは思うのですが、今回見ていてその光の描かれ方がとても気になりました。
まひろと道長が並んでいるシーン。
猿楽衆と藤原家の家臣、検非違使とのわちゃわちゃから逃げてきた場面です。
あの場面で並んでいる2人とそこに差し込む光。
その絵が気になってしまいました。
ブラーと言ったら良いのでしょうか。
淡く光で伸ばされている感じがして、物語感を強く感じました。
非現実的に描いている…というような。
あの場面ではまひろと道長がちょっといい感じになる場面でもあるので、よりふわっと非現実的に光が強調されていたのかもしれないな、と。
ドラマの終盤、青年貴族たちが女性について語っていましたよね。
「身分が全てである…」という考え方。
それを聞いてしまってショックを受けたまひろにとって、あの道長との場面は本当に夢幻の一瞬だったのではないでしょうか。
そう思うと、美しいゆえに切ないですね。
価値観が違うということ
女性に対しての考え方。
これって現代の物差しで見ると、とんでもないことを言ってるってなりますよね。
なんとなく嫌なヤツ感が漂う。
下手すると、キャラクターやそれを演じている役者さんへの好感度も下がる可能性があるシーンだと思いました。
でも、これをあえて描くことに意味があったのかなぁ〜というのが私の受け取り。
平安時代って、当たり前ですけど今の時代の価値観とは違います。
これに関しては、今までもドラマ内で描かれてます。入内とか。
こういう違いを残酷なまでにしっかり描くことにこそ、意味があるように感じるんです。
それこそが、平安時代という時代を大河ドラマで扱うことの意味とか挑戦なのかなと。
美しい若者
道長たちの打毬のシーン、とても長く、美しく描かれていましたね。
青春映画とか、そういうイメージでしょうか。
価値観のギャップはあれど、若者がスポーツに勤しむ姿は変わらず美しい…そういう印象を与える目的もあったのではないかな?と勝手に想像しています。
だからこその、最後のあのショックも大きく感じられたんだろうし。
歴史的な側面で見ると、正直あの場面って特に意味のない部分ですよね。
わざわざ描く必要性の無い部分というか。
別にあれで歴史が動くわけじゃないしね。
でも、そういうどうでもいいに分類される日常とか人間の様を丁寧に描いていることが、このドラマの面白い部分だと私は思っています。
大きい戦よりも日常の方がよっぽどシーンとしては面白いと私は感じるタイプなので。
平安時代を生きる人たちの心模様みたいな、そういった部分を感じられるとより物語に没入することが出来るな~って思うんです。
そういう意味では、ギャップと現代語の利用と、とてもバランスやセンスのいいドラマですよね。
良い意味で大河ドラマっぽくないからこそ、見やすくて、単純に面白いと思える。
これをきっかけに平安時代に興味を持つ人も出てくるだろうし、そういう入り口としてとても優秀な作品なのでは…?と思ってます。
深く考えずに面白いなーって思って見ているドラマほど、振り返った時にスルメのように味わえる部分が多くある気がするので。
面白いなーって思って見てると、感想も湧いてくるもんです。