いつもの如く、大河ドラマの感想雑記です。
心は、何処?
今回見ていて思ったのは人の感情を追いかけてはいけないということでした。
「この人は何故こんなことを言うのだろう?」とか「行ったのだろう?」とか、心情に興味が湧くのですが、このドラマに関してはそこを知ろうと考えるとさっぱり分からなくなることが分かったので、深追いすべきではないのだと判断しました。
私個人としては1番興味があるところなのですが、物語の表層を撫でるのが純粋に楽しめるコツなのだろうなぁって…。
これに関しては前回もうっすら察してはいたのですけれども。
今回の詮子の一条天皇への言動でさっぱり分からなくなりました。
と言うか、心情を追いかけるだけ無駄なのだと悟った。
関白の座をどうするかと言う問題に対して、「道長に」と言う訴えを涙ながらにしていましたが、あれって全部自分のためだよね。
一応「天皇のため」とか言ってましたけど。
円融天皇の無念とか言ってたけど、遠ざけられていた彼女がそんなこと知るはずないわけで。
道長が出世欲のない人間だということは事実ではありますが、要は自分が動かせる駒を関白の座につけたかったと言うことですよね。
伊周とか定子のことが嫌いだったと言うのも大いにあるのだと思いますけど。
ものすごく個人的な意見ですが、大奥(フジテレビのやつね)的なドロドロよりもこういう方が私はしんどいです。
しんどいって言うのは、精神的にダメージ食らうとかってことと言うよりも「嫌だわ〜」的な感覚。
ドラマの描き方なのかもしれないけど、この時代の女性の感覚が合わないのかも。
まだ大奥的ないびりとかそういう方がエンタメとして受け取れるんですよねぇ。
この差が何なのか分かりませんけど。
見てて痛々しいのが嫌なのかなぁ。
さよなら、道兼
ドラマの後半部分が個人的に嫌悪感に近しい衝撃が強かったので薄れてしまっていますが、道兼が亡くなってしまいました。
あんなにあっさり居なくなると思っておらずびっくりです。
7日関白と呼ばれたあっけなさを表現するにはぴったりだったとは思いますが。
傀儡がやっと人に成れてこれから…!と言う時に亡くなるなんて、悲しいです。
純粋に彼の死を悲しむ人間が道長しかいないと言うのも、なんとも言えない。
念仏を唱えて浄土へいくことを望んでいると自嘲していた姿が、道兼の本当の姿なのだと感じてより切ない思いでした。
ドラマが始まった当初は本当に嫌なやつというか、救いようのない可哀想な人物だと思っていましたけど、亡くなってこれだけ悲しいと思うのですから、そこからの変化が凄まじいドラマチックな人物だったと思います。
右大臣となった道長としては、あんまりやる気はないのでしょうけれども、道兼の想いと道兼への想いとを持って政に進んでいってほしいなぁとか思ってしまうよね。
有名な、矢の話
次回はタイトルにもあるとおりあの事件が出てくるんですね。
伊周一派はここから分かりやすく転落していく形になるんだろうなぁ。
道長にとっては思わぬ好転なんだと思いますけれども。
道長というよりも詮子にとっての喜ばしい事件なのかな。
嫌っている相手が勝手に自滅するわけですから。
事件と兄弟についてはなんとなく知っていて想像ができるのですが、これによって定子の立場はどうなるのでしょう?
やらかした兄弟をもつ中宮なんて、それだけで問題視されそうですよね。
これを機に詮子にどんどん追い詰められていくのかな?
確か若くして亡くなっているはずだし、病む理由がここにあったりしてもおかしくないと思ってしまうのですが。
嫁姑的なバチバチが勃発するんですかねー?