今回は私的にわりと楽しく見られた回でした。
気になったのが、平安京と宇治の距離感。
地理に疎いので、そこがずっと気になりながらの視聴でした。
病に倒れた道長。
怪文書が出回るというのは現代の視点から見るととても子供っぽい話に思えますけど、当時としてはかなり深刻だったのだろうと想像します。
道綱が弁明に来たけれども、彼は彼で裏表のない人間だろうし、本当に自分はそんなことを思っていないってことを道長に伝えたかっただけなのでしょう。
ただ道長からしてみると、孤独が染みわたったんだろうなぁ…と。
昔であれば回復した後に「こんな手紙が出回っていた」と公任あたりが教えてくれるのだろうと思います。
それで笑い話にしてしまえるくらいの感覚はあったんじゃないだろうか。
今の道長は権力者であり、友も友と言い切れなくなってきた。
…道綱は一応身内だけどね。
怪文書うんぬんと言うよりも、自分自身の孤独が染みわたってしまったんじゃないだろうか。
しかも、体が弱ってるときってメンタルも弱まるからねぇ…。
宇治
宇治には源氏物語ミュージアムがあるのだということは、知っていました。
「道長の別荘があったとは…!」って感じなのですが、まひろが宇治を訪れるきっかけがなんとも切なかったですね。
百舌彦って本当に道長のことが好きで傍に仕えているんですよね。
まひろの家ではいとや乙丸など旧知の者たちがいますけれど、道長にとっては本当に貴重な人物のひとりだよね、百舌彦。
川辺で人生の終わりについて語る2人は絵になりましたが、歳も感じさせました。
人生のあらゆる経験を経てきた2人だから当然なのですが。
まひろのある種覚悟の決まった言葉こそ、道長の目を覚まさせる、気力を再び込める力のあるものだったのでしょうねぇ。
その道長の涙がまひろの執筆スイッチを再び入れてくれたようにも感じました。
このシーンを見ていて思ったのが、最終回のこと。
紫式部には明確な没年の記録が残っていないだろうし、ソウルメイトとして2人を書いているドラマだから、まひろと道長は同日に亡くなるのかなーなんて。
少なくともお互い先立たれたくないわけで…。
そういうフラグを立てるための回だったように感じてしまうのは、メタ想像が過ぎるでしょうか…。
苦手の理由
今回は比較的楽しく視聴したのですが、光る君へって面白い時とそうでない時の落差が激しいドラマだと感じています。
あくまで私のなかでの話ですけれども。
その落差の理由が分かったような気がしていまして…。
朝イチに柄本さんがゲストで出演された回を見ました。
そこで脚本について話していて、「脚本の行が変わると役の感情がガラッと変わっている」というようなことを仰っていました。
高低差、変化の激しい感情を掴む苦労など話をされていてとても興味深かったのですが、この感情の変化が私がついて行けない理由だと感じたんです。
これは、このドラマだからなのか、脚本家さん特有のものなのか…というのは分からないのですが。
回によって当たりはずれ感が大きく感じられるのはその波のせいなのだろうなぁ…と。
この波のせいでキャラクター像が掴みにくく、結局みんな好きじゃない方に片付けられるんですよね。
ま、相性の問題だと思うのでこういうお話が好きな方だって当然居ると思います。
私としては今まで見続けてきていてどうしてこんなに落差があるのか?という自分の中の疑問に一つの答えが見いだせた気がするので、良かったです。