どうする家康、第8話の感想雑記の本日。
ついに諦めてカテゴリーを新しく作りました。
そんな感じでハマっております、大河ドラマ『どうする家康』。
面白いねぇ。
心が読めない。
前回、一向宗とのいざこざが始まりまして、ついに今回戦に発展しました。
身近な家臣からも勝手な判断を怒られていた家康。
さらには家臣の中から一向宗側へついてしまう者たちが現れ、どんどんと追い詰められていく…。
家康的には誤算だったんでしょうね、裏切られるっていうことが。
今話は家康が人の心を読めない様がしつこいくらいに描かれていましたね。
もちろん裏切られたりして不安定にはなっているんだろうけれども。
身内や仲間と戦で戦いあうことの苦しさは、正直正常な判断ができていれば分かることです。
なんなら小さい子であっても「嫌だ」って思うようなこと。
戦において士気ってとっても大事。
たとえ戦のプロであっても、士気が上がらなければ負けてしまうでしょう。
しかも向こうは死ぬことを恐れない集団。
そうなれば、家康側に勝ち目がないのは明らかですよね。
神の名の下に
一向一揆衆は、「進むは極楽」の精神で向かってくる。
これ、なにとは言わないけれども、現代でもありますよね。
神の名の下に命を投げ出すことを厭わない人たち。ある種最強ですよね…。
そういう人たちと相対するというのは、とんでもない恐怖なんだろうなぁと想像します。
でも、一揆衆の中にはかつての仲間と向き合うことに苦しんでいる人たちもいて。
どちらにも苦しい戦なのだと、見ていて私も辛くなりました。
国とは?
「この国で1番偉いのは?」家康に問いかけるのは、今川義元公でした。
今作では、家康に大きな影響を与える、偉大な武将として描かれているように感じる今川義元。格好いいのは、嬉しいねぇ。
さて、その問いの答えは、「民」。
「民の上に立つものは、その民に生かされている」というのは、普遍的な考え方だと思います。
というか、上に立つ人たちに持っていてほしい考え方だと私は思ってる。
「民に見放された時が死ぬ時」だというあの言葉の重み、倒れ込んだ家康には沁みたように見えたのですが…。
その後、家臣たちへの不信感がピークに達した家康にはどう効いてくるのでしょう…。
案外「素直に進まないんだなぁ」って思ってしまったな。
民と家臣はイコールじゃないのでしょうか?ここの考え方が、私には分からなくて…。
どのみち同じ人間なのだから、心が離れたら終わりだよねぇ。
ところで、あの義元公は過去の記憶なのでしょうか?それとも、家康の夢?
過去の記憶であるならば、それを思い出しているんだろうけれども。
もしも夢として見たものならば、家康の中に「国とは民である」という考えがあったってことだよね?
実際に義元公に言われていたのだとしたら、義元公がより格好良くなりますが、ドラマ的には家康の夢であった方が、家康の未来へ希望と期待が持てるからいいのかなぁ。
本田正信
次回への大きなキーが本田正信でしょうか。
家康の身近な家臣で、裏切った家臣で。
家康を人間不信に陥れている張本人ですね。
ただ、勝手な想像ですが、家康を本気で討ち取ろうとは思っていない気がしてる。
本気で命を奪おうとするなら、あの鎧装束で、銃で、頭狙わないよね。
火縄銃(だよね?)の威力であの鎧を貫通するのって無理だと思う…。
それくらいの知識は正信だってあるだろうし、頭の切れる人だから1番効果的な脅しとして頭を狙ったんじゃないかと。
家臣の中でも独特な立ち位置で、程よく家康と距離が離れているからこそ、色んなものが見えているんだろうと思うんです。
それと同時に、人の心の重要性をよく知っている人物な気もする。
だからこそ、とんでもなく痛い忠告を家康にしてくれているんじゃないかなぁと。
希望的観測ですが、そういう人物であってほしいな。