光る君へというタイトルのわりにドロっと要素が強く感じられるのは、源氏物語のオマージュなのでしょうか。
鎌倉殿の13人の時とは、またそのドロッとの方向性も違っていて…。
女性視点だとより嫌な感じが増すのは、私が女性だからなのかもしれない。
光が遠のくねぇ。
老いた親
前回から4年の時間が経っていたドラマの世界。
兼家の変化がその時間の長さをとても分かりやすく表してくれていました。
今回のドラマで一番印象的ですごいと思ったのも、兼家。
目の焦点が合っていない半分あちらへ渡ってしまっているような姿と、まだ強固な権力者としての姿のコントラストに驚きました。
役者さんってすごいね…。
平安時代の認識だと、"老い"ってどう捉えられていたのでしょう?
道長は「憑かれた」というような表現をしていましたが、真っ先にそれを思いつくのは道長が自分の親を見ていたからでしょうか。
それが別の誰かであれば年齢を思って「老いたね」って感じるけれど、自分の親だからこそ、その可能性を持たない。
明子の頼みで兼家の見舞いに行った時も、道長は途中で退席します。
あの時の彼の気持ち、私は分かる気がしましたが…。
自分の親とか頼りにしていた人が老いていく姿というのは、言いようのない感情に襲われる物があります。
不安もあるし、怒りもあるし、そういうひと言では表せないどうしようも無い感情に見舞われて、あの場には居られなかったんじゃないかな。
兼家があちらとこちらを行き来する姿は、時代や創作物であるということ関係なく刺さるモノがあると思います。
少なくとも私にはとんでもないリアルな姿として感じられた。
生きる場所の違い
道長の妻となった明子。
相変わらず兄の俊賢とは意見の違いが明白でした。
私としては、どちらの言い分もとてもよく分かる。
憎い相手を恨んで呪って…という明子と、過去は過去として前に進む俊賢の違いは、性別の違いだと感じました。
今の時代であればそこに大きな差が生まれるかと言うと、そうでもない気もしますが。
あの時代、男女で生きている場所が違っていた。
貴族の男性は外に出て、立身出世していく必要性があって。
女性は基本的に家に居ますよね。
そもそも立場の高い女性は身内以外の男性に顔を見られてはいけない…みたいな、そういう時代で。
狭い世界に居れば、自身の思いをかける場所が過去の一点になるのも仕方のない話でしょう。
それしかないと思いこめば、たとえ自分の身が滅びようとも呪いを成就させる方に傾くというのも、まぁわからんでもない。
ドラマ的な視点で考えるなら、人を呪わば穴二つなので呪いが成就して兼家が居なくなり、明子は自身ではなくお腹の子に何かしらの害を被る…という流れが予測できます。
こういう場合、多分自分よりも我が子に呪いが返った方が母親である明子にはダメージが大きいだろうし。
多分道長のことは好きなのだろうから、より傷つくよね。
明子自身も「自分の身がどうなっても構わない」的な事を言っていたので、そうなった場合の一番の被害者として想像できるのが赤ちゃんなわけで…。
そういう流れが予測できるので、「この先ドロっとしていくのかな~」と想像してしまうし、多分明子はいわゆる幸せにはならないよね、とも思う。
呪詛的なモノが当たり前に存在している世界観だからこういう事言うのは合わないのかもしれないけれども、人の事呪っておいて幸せになれるわけないからね。
一応感情移入できるキャラクターですけれども、「ああ、不幸になっていくんだなぁ」と冷めた目でも見てしまう人だったりするね、明子さん。
とても人間らしい人ではあると思うけどもねー