砂糖水と雑記帳

なんでもない日常の雑記帳 ~猫と暮らしてゲームして~

【光る君へ】モヤっとと救いの割合が釣り合わない。

モヤっとする場面が多く、何とも言えない気持ちで見ていました。

大枠で見れば面白いと思うのですが、どうしても細かいところが気になってしまうのは、私の性格のせいでしょうか…。

救いが道長にしかなかったよ…。

幼さの違和感

今回ドラマを見ていて1番引っかかったのが、伊周でした。

正直な話をするなら、定子も気になったけれども…。

伊周が道長と弓比べをする場面。

あの場面で伊周がとんでもなく幼く見えたこと、私の中では大河ドラマあるあるなのだと片付けていました。

長く人の人生を描くドラマ故に、子供時代を大人の役者さんが演じることがあるという、ソレのこと。

つまり演じている役者さんは大人だけれども、伊周は子供なんだなと思うことでドラマを見続けました。

が、よくよく考えれば既に伊周は成人済み。

内裏で役職についている大人です。

年齢的にも立場的にも、どう考えても子供じゃなかった

そう考えて振り返ると、「なんであんなに子供っぽいのか?」という疑問だけが浮かびます。

才色兼備のイケメンらしいですけど…。

実力はあるけれどもそれで鼻を伸ばしているプライドの高い天狗なのだな、という認識で私の中では落ち着けました。

道長のことを小ばかにしている感じがありましたけど、あの時代感から想像するに叔父さんであっても他の家の人なわけで。

家族や身内という感覚が無いから、単純に自分よりも下の人間という見方をしていたのでしょうね。

役職的にも、確か道長の方が下に置かれていたはず…。

ここら辺私的にとても難しいのですけど、伊周ってどう考えても親の七光りであの立場に居るわけで。

それを自分の実力という認識でいるんですよね。

生まれた家や嫁の家柄も実力の内という考え方が多分一般的なんだろうと想像して納得しようと思ってはいますが。

今の、私の視点からするとモヤっとポイントになってしまいます。

定子の幼さ

もう1人気になったのが、定子。

こちらも伊周同様とても幼い。

彼女は伊周の妹なので、伊周よりは年下なのでしょう。

実際にあのドラマの段階で幾つなのかは分かりませんけれども。

けれども、一条天皇よりはお姉さんでもある彼女が、なんであんなにぽけーっとしているのかも、謎。

兄弟の中で1人だけが…っていうか、「あの家の兄弟みんなあんな感じなの?」って思ってしまいまして。

そう考えると、良くできた嫁(母)に育てられているはずなのに「何故?」とひたすらに疑問しか湧かない

教育係が別にいたとして、それを選ぶのは多分親であるはずだから、そこの見る目が無かったというのも致命的ですよね。

そういう意味で、「親に能力が無いのかな?」っていう理解になってしまうのですが…。

ここら辺がずーっとモヤモヤしてしまう。

理想の父子

道長の義理の父親である雅信が亡くなりましたね。

妻と娘、婿に見送られての最期は、ある種理想的なお別れに見えました。

道長としても自分の父に対して出来なかった最期を看取るということが出来たのは、良かったのかもしれないなーと思っていますが、どうなんだろうか。

雅信が亡くなってしまうことで道長は後ろ盾を失うことになります。

そのことに関して、「不承知」であれば道長を放り出すことにはならなかったと雅信は最期まで口にしていた。

もちろん、娘を嫁にやったことに対しての複雑な思いも含まれているとは思いますけれども。

道長と雅信の親子の関係性って想像するしか出来ませんが、決して悪いモノではなかったのでしょうね。

今の親子の認識とは大きく違うから、婿殿への想いももちろん違うでしょうけれども。

それでも、嫌って、憎んで…みたいな関係性ではなかったのだろうとは思えます。

この場面だけが今回の救いだったかなぁ。

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