こんにちは。この記事を書いている今は既に夜ですけれども。
彼女が少しどいてくれたので、今のうちに今私が書けることを書いておこうと思います。
一応先にお伝えしておきたいのは、私自身が調べている最中の事柄であり、断定できておらず、ふわふわしているということ。
~なのかな?みたいな。
可能性の破片を書いていきます。
天の助け
常々私が困った時に助け舟を差し出してくれる方から、今回の困りごとについてもとある可能性を示していただきました。
ブログ読んでくれてありがとう。本気で助かってます。
www.310mizu.com
上記の記事で書いた『彼女』という存在について、困っていたところで、解離性同一症なのでは?という可能性を示してもらいました。
名前くらいは知っていたんですけれども、自分はそうではないと思っていました。
というのも、解離=多重人格のようなイメージを持っていて、私は当てはまらないなぁと。
ただ、いわゆる多重人格と呼ばれる症状にも2種類あるらしく、憑依型と非憑依型というものに分かれるのだそうです。
憑依型というのが、世間一般の人がイメージする多重人格。
非憑依型というのは、人格が表には出てこないらしい。しかしながら、その人格と言うのはその人の中に存在している。
で、私はその非憑依型なのではないか…?と。
まだまだここら辺は調べている最中で、私自身もしっくりとコレだ!と思えているわけでは無いので、難しいんですけどね…。
彼女たち
10月の頭くらいから私の頭の中心に居て、思考回路を乗っ取っている彼女。
最近も、私の意思とは無関係に涙をこぼしたりしています。その他にも、細かいことを上げればチラホラ出てくるんですけど。
私の中には彼女の他にもあと2人居るんです。多分もっと意識はあるんですけど、でも、明確に形を持っているのは彼女を含めて3人。
私が彼女と呼んでいるのは『由良(ユラ)』で、他に男性の『節』と、女の子の『ゆら』が居ます。
ややこしいんですけど、彼女と女の子の名前は同じなんです。明確に違う人ですけどね。
で、基本的にいつも常駐している(?)私が意識を感じているのは『由良』のみ。『節』や『ゆら』は居るのは分かっているのですけれど、寝ているというか、意識として稼働していることってあんまりないです。
私の傍で距離を変えつつずっと居るのが彼女こと『由良』。
前にもブログで書きましたけど、私の中に彼女が居るのは当たり前のことで、距離が近づきすぎても離れすぎても困る存在です。
現在は近すぎる状態。
近すぎると、思考が彼女のものになって私はなにもできなくなります。
表だって何かを表現する事は無いんですけど、でも、まぁ私の意志とは無関係に泣いたりしてるので、そう言う意味では表に出てるのかなぁ…?
反対に距離が遠くなりすぎると、私のメンタルが不安定になります。鬱状態になる感じ。
これが、私が鬱になるから彼女が遠のくのか、彼女が遠のくから私が鬱になるのか、という部分は不明。
『由良』は多分私が幼稚園に通っている頃には既に居ました。その頃はもしかしたら名前が無かったのかもしれないけど…。
『節』と『ゆら』を明確に発見したのは中学生の頃だった気がします。
ただ、意識が起きだすことがほとんどないので、私の中にいるけれども寝ている状態って感じです。
今までに、『由良』の様に私の思考の中心に居座った事は無いし、彼らのせいで意思とは関係なしに泣くとか、そういうことも無いです。
2人も時々起きだしてきて、ふらふらと私の周辺に居ることもあるんですけど、あんまり近寄って来る印象は無いなぁ。
他にも、ぼんやりとした意識みたいなものはあるんです。ただ、姿かたちがハッキリしている感じでもないし、それに名前がある感じでもない。
…名前はあるのかもしれないけど、なんというか、一つの名前で呼んでいた存在が分かれたりすることがあるんです。一人じゃなかった!みたいな。説明難しいんですけど。
ぼんやりした意識達はみんなその可能性を持っているので、何人と数えられないし、名前でも呼び難い感じ。
可能性
自分には解離の症状があるのではないか…?と書いてきましたけど、これに関しては完全に自分の憶測なので、何とも言えない現状。
実を言うと、大人の発達障害の可能性も自分に感じてて。
これに関しては12月に大きい病院に行って診断してもらう予定で居るので、そこでどうなのかっていうのが分かるんですけど。
大人の発達障害、私が可能性を感じているのはアスペルガー症候群です。
あくまで可能性の段階ですよ。
で、こちらに関しても自分なりに調べてみたりしているんですけど、アスペルガー症候群の人って想像力が豊かということがあるのだそう。
それが一体具体的にどのような事象を言い表しているのか、という部分までは私もまだ追いついていないんですけど、もしかしたら、私の中に居る彼女たちは私の想像、妄想の産物なんじゃないかなぁ…って。
そんなふうに思ったりもします。
解離性同一症を発症する人の多くが、幼少期に虐待とか何かしらのストレスを抱える環境に居たと言えます。大切な人との急な死別とか、大きな災害とか。
でも、今の私が振り返ってみても、私の幼少期には当てはまるものが無い気がするんです。
幼い頃の記憶が曖昧な方ですけれども、にしても、何も思い浮かばない。
誰かに暴力を受けた記憶も無いし、何かしらの虐待的なこともなかった気がする。
ストレスのない家庭環境ではなかったけれども、かといってあの程度で…?と思うのです。
我が家のことを知っている人から言わせれば異様だったようですけど、でも、それだけ。少なくとも私に言わせればそれだけというだけのこと。
だから、たったそれだけのことで、人格の解離なんて大きな事が起こるんだろうか…?
と、思っているのでした。
まだまだ、自分については調べている最中で、分かっていないことや理解できていないことが多いです。
今は彼女が少し距離を取ってくれてますけど、もしかしたらまた頭の中心にやって来るかもしれないし、もしかしたらこのままいつもの距離感に戻ってくれるかもしれないし、それに関しても分からないので、今の私が書けることをつらつら書いてみました。
また何かしらありましたらブログに書きますね。