『母として』というタイトルが気になっていた、今回の光る君へ。
見終えて思うのは、宣孝がサラっと去ってしまったことのあっけなさ。
勝手に期待値を上げていた私が悪いのですが、思う程の感動は無かったかもしれない回でした。
描かれるもの
清少納言や宣孝の北の方が言っていた「美しいところだけを残しておきたい」という思い。
まひろは美しい部分もそうでない部分も両方を描いた方が面白いと清少納言に言っていましたが、それを受け容れられない描写が印象的でした。
私としては、どちらの気持ちもわかる。
身近な人の不幸であれば美しいところだけを…という思いになるだろうけど、純粋に人を知りたいと思うなら、どちらの側面も知りたい。
まひろは物語を書き始めていましたが、清少納言と会った時と宣孝の死を知った時とで、彼女の考えはどれくらい変化があったのでしょうか。
そこに関してドラマ内で触れられていなかったので、ちょっと気になってしまった。
枕草子は日記、よく現代のブログと喩えられる作品ですが、一方の源氏物語は小説。
それぞれを比較するものではないと思いますが、日記と小説の差というのが二人の描きたかったものの差にも感じられます。
美しいものだけ、
美しいところだけを残したい…という清少納言。
まひろとの会話や伊周とのやり取りなどを見ていて、彼女は美しいもの以外を受け容れなくなったのだろうと感じました。
大切な人の喪失以外の、彼女の芯の欠落と言ったらよいのか…。
視界が一気に狭くなってしまっているように感じて、彼女の良さが濁ったように見えて私は残念でした。
ドラマを俯瞰している側なのでそう感じるのかもしれませんが。
このまま作品的には退場していく流れなのですかね、清少納言。
これ以上濁った姿を見なくて済むなら、そっちの方が良いのかなぁ。
母として
気になっていたタイトル回収。
まひろを始めとした色々な母が出て来ましたが…。
倫子と道長のやり取りも気になりましたが、一番引っかかったのは明子かなぁ。
彼女の立場として仕方のないことなのかもしれませんが、一番嫌な母親感がありました。
倫子に負けないように…という闘志がメラメラ見えてしまうのがねぇ。
子供には関係ないよねって言いたいけど、当時の考え方からすると切り離して考えられないのかな。
現代で親が自分の為に子供に力を注ぐって、良いパターンは無いと私は思っているので。
まさしくそれに当てはまる彼女がしんどかったな。
倫子が煽ってるから余計にそういう方向に向かってるのかもしれないけど。
子供が可哀想だなぁってひたすら思っちゃった。
一条天皇と詮子は結局親子の仲直りをしないままの別れになりましたね。
一条天皇の立場からすると定子も母も居なくなって、本当に頼る先が失われたことになる。
可哀そうだとも思いますが、こちらは自業自得の面もかなり感じるので何とも言えない感じ。
次回はかなり時間が経っているようですが、どうなるんだろうか。