
恋川春町先生が一気に好きになった今回。
新たな推しができたかもしれない!と喜びながらwikiを見て不安な気持ちになっております。
この先どうなるんだろう?
春町先生と耕書堂
楽しそうでしたね、耕書堂の忘年会(新年会だっけ?)
みんなで飲んで食べて歌って…。
前回の終わりに「屁」の連呼が話題になっていましたが、今回はそれを上回るような描写で。
堅物で一本気、面白みがないという恋川春町が、だからこそ面白いというところに至るまでの姿がとても可愛らしく、親近感のあるものだと感じました。
「あいつの方がすごい」みたいな悩みって、誰しもあるものですよね。
ドラマでは文も絵も担う作家として恋川春町と北尾政演(山東京伝)が対照的なキャラクターとして描かれているのがとても特徴的です。
その上で、春町ってまぁさんとも仲が良いから、これから政演とも仲良くやっていくのかも…と思わせるところもとても上手い。
春町とまぁさんってタイプが違うから「なんで仲がいいの?」ってなりそうな2人ですけど、その仲の良さや絆を事前に描いているのがここで効いてきているなぁって思いました。
そんな恋川春町、なんだかとても親近感の湧くキャラクターというか人物。
なぜなら、とっても地元に近い人物だったから!
小学校の社会科の時間に田沼意次を身近に感じていた私、「恋川春町もそうだったのね!」感が強いです。
戦国の時代には今川領だった土地に生まれ育っている故の親近感なのです。
不穏な匂い
そんな親近感を抱く恋川春町。
気になってWikipediaを見てみたら、不穏なことが書かれていました。
これから「皮肉」を生かして黄表紙の作品を書いていくようですが、それがきっかけで亡くなるかもしれないのです…。
病死なのか自死なのか、明確にはwikiに書かれていませんでしたがその可能性があるということは、壮絶な死の可能性も出てくる。
だって春町先生って堅物だし、幕府に書いたものが原因で罰せられるなんてことになったら絶対悩んで苦しむってことは想像ができてしまうわけで…。
40代で亡くなるとのことで、ドラマで描写されている時代がどれくらいなのかを必死に読み解こうとしていました。
恋川春町が亡くなったのが、1789年。
蔦重が日本橋に進出したのが1783年。
この数字を見てしまうと、それだけでなんだか悲しい気持ちになってくる私です。
意知…
春町先生のことなど調べるついでに田沼意知のこともwikiで見ていました。
この方の亡くなり方もかなり壮絶。
江戸時代ではなかなか珍しいほどに血に濡れた最期って感じがしました。
前回見た段階では誰袖に振り回されることはなさそう、と感想を書いていたのですが…。
結局身請けすると返答していましたね。
政のための協力者だと純粋に思っているのだとしたら、「それはそれでどうなの?」と思ってしまうし、誰袖に落ちたのだとしても「どうなの?」と思ってしまう私です。
蔦重と稲荷神社で会話をしていたところ、「顔がいいらしい」というところでなんだか喜びが滲んでいるように感じられて「えぇ…」ってなってしまった。
「何がいいのか自分にはわからない」と言いながら喜んでいるのであれば、私的にはちょっとマイナスを感じてしまいます。
褒められて嬉しいって素直に出していれば、まだここまでネガティブな見方には転がらなかったように思うんですけど。
そして、「政に蔦重を巻き込まないで!」というのが、素直な私の感覚。
せっかくあんなに楽しそうにしていたのに。
それを一瞬で壊しかねない危ない橋に巻き込まないでほしいよねぇ…。
おまけの誰袖
「やっぱり顔で選んでたんだなぁー」というのは、想像通り。
意知との会話から想像するに、仮に蔦重が身請けしてくれていたとしても、一緒に本屋をやる気なんてないんだよね、彼女。
顔を1日中眺めていたいって、それ以外は何もしないということの表明でもあるし。
ま、意知って良いところのお武家さんだから、女中がいれば自分は何もしなくて良いという考えでの言葉なのかもしれませんが。
どうも誰袖は浅はかな感じがしてしまう。
瀬川とか松の井に感じたような重みが感じられないんです。
彼女たちのような風格があれば「日々が地獄」という言葉にも説得力が感じられるんですけど、誰袖って顔がいいだけで今の地位にいると感じてしまうんですよね。
別に嫌っているつもりはないんですけども…。
「私が頼めばみんな思い通りに動いてくれる」感が滲んでいるのかなぁ。
目的のためには手段を選ばないタイプだとしても、あんまり賢さを感じられないのが私的にはマイナスなのかもしれません。