砂糖水と雑記帳

なんでもない日常の雑記帳 ~猫と暮らしてゲームして~

無理解に対する処理の方法

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精神的な不調って目に見えないから説明が難しく、理解されるということもなかなかに難易度の高いことだと思っています。

同居し、私の面倒をいつも見てくれている祖母でさえも、100%の理解は出来ていないのだと思います。

でも、理解しようとしてくれているのはよく分かる。

 

そんななかで無理解な人も居るのは仕方のないことだと思います。しかし、私の意識として直接傷つけられたというような経験はあまりない気がしていたんです。

 

しかしながら、割と直接的にそのような文言に出会いまして、つい笑ってしまいました。

 

 

 

 

判断すること

パッと見て判断できる病気や障害というようなものがあるのは分かります。

でも、見た目だけで判断できるものばかりでないのも事実。

 

内臓系の病気とか、レントゲンなんかで撮って初めて見える物がありますよね。そこで発覚して、治療になる…というような。

そういったものたちを見逃さないために、人間ドックとか定期的にしたりするわけで。

 

しかしながら精神的な病気に関してはレントゲンを通したところで何も見えません。脳を見たって腫瘍があったりするわけでも無いんです。

 

明確にコレというものが見えないので、その人が患っている基準というものがまず難しいですよね。

いわゆる鬱病は、心が落ち込んでしまって、日常生活に支障が出る。自傷行為や自殺行為をしてしまったり…。

そういうイメージなんだと思います。

 

もちろん精神的な病は鬱だけではなく、色々な不調に悩んでいる方は多いでしょう。

更に言えば、一つの病名でまとめられても症状は様々です。百人が百人、同じ症状で悩んでいるということは無いでしょう。

 

心療内科などに行って、診断してもらい、医者から病名を告げられる。

それはきっと他の科で診断してもらって、病名を告げられることと大差ないのだと思うんです。

しかし、目に見えないからこそ、理解されない。

 

癌だと言われたら、腫瘍を見せられたら、命に関わる病だと思うのかもしれないけど、鬱と言われても、それが命に直結する様なものだと考えないですよね、きっと。

本人がどれ程苦しんでいても、周囲の人間がそれを理解しようとしたり、手を貸したりするでしょうか?

 

ここら辺が精神的な病の難しいところだと思っています。

 

理解してくれようとしてくれている人でも、100%の把握は難しい。

理解しようとする意識のない人に、理解してもらうって、それはそれは難しいことです。

 

見えないから

さて、私の周囲には私を理解してくれようとしてくれる人がいます。反対に理解できない、という態度を取る人も居ます。私と同じような立場で、一緒に戦っている人がいます。

 

私の状態に対する理解が出来ない、というのは物理的に距離があって、私の普段の様子を知らないから、というのもあるのかもしれません。

それは仕方がないことだと思っています。

そのうえで、私からもなるべく理解してほしいと思うことには説明をしたりなどしています。

 

家族という小さな枠を少し外に出て、親類という枠に移った時に、その難易度は上がる気がしています。

 

ただ、父方の親類、会う頻度の高いおばさんは私の話を聞いたうえで、なるべく私に寄った考え方をしようとしてくれています。

祖母からも色々と聞いている様で、そういったところからも全面的に否定の姿勢はとりません。

これはとても有難いことです。

 

一方の母方の親類。そもそも私が母を苦手としていることもあり、母方の親類の人には同じような感覚を抱きがち。

それでも、一緒に悩み考えてくれる人も居ます。

しかしながら、明確に無理解な人も居ます。

 

普段からあまり顔を会わせる機会も無く、そんな中で私のことに関して理解して!とは思いません。言いません。

そんな状態で、私に関しての彼方の見解が笑ってしまう程だったんです。

 

直接私に向けて発せられたことでは無いんですけど、まぁ、耳に入りまして。

 

曰く、私は母を利用し、寄生している、と。

精神的な病と自称しているだけで、それは偽りであろう、と。

 

ま、かなりやんわりと書いてますけども、笑っちゃうくらいの言葉が並んでいました。

 

腹が立つとかそういうようなことを全て通り越したうえの笑い。

 

嗚呼、こんなふうに思ってたのね~と。

それ以上の感想はありません。

 

そんなもんかな

現在、母とは距離を取っています。

これは私の自衛のためです。

 

私は私なりにこの先の人生設計的なものを考えており、その為に出来ること、すべきことを少しずつ洗い出して、行動に移している最中です。

 

それは、傍から見たら意味の無いことのようにも見えるだろうし、そもそも社会生活に参加していない、家族に寄生しているように見られても仕方のないことだとも思います。

 

ま、どのように受け取られようとも、私は他人の意識や感情を変えられないので、そういうものとします。

 

そのうえで、自分を守らなくてはならない。

自分が一緒に居てストレスを感じる相手とは距離を取るのも手段の一つだと考えるようになりました。

 

全てに対して逃げるわけでは無いし、逃げるつもりはないです。

ただ、家族だから傍に居なくてはいけないとか、そういうのは無理。

そこに労力を割くよりも、もっと自分の為になることに意識を向けたい。

 

そう思うのでした。

 

家族だから、血が繋がっているから、ってものすごく重い様な気がするし、大切にしなきゃと思われるのも分かる。

でも、無理なこともある。

 

 

 

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