はてなブログの公式ブログに気になる記事があったので、覗いてみました。
それが、『純日記』について。
これはまさしく我がブログにぴったりなのでは?ということで、本日はそんなお話。
ただの日記
blog.hatenablog.com
ブログを更新しようと思ったら目に留まったこの記事。
純日記というテーマでゆるくブログを書いて、それを人に見てもらおう!みたいな、そういうヤツです。
詳しくは、上の記事を見てみてください。
さて、『純日記』。
多分、純粋な日記とかそういう意味で受け取ればよいのだと思います。
私の場合、『雑記』というカテゴリーで括っている記事がこれに当たるのだと思いますが、そもそもこのブログ自体が私の雑記帳なので、ここに書いている事の全てが雑記であり、日記なのです。
正直、ブログってそもそもそういう物なのでは?と思っていた私。
小学生くらいからインターネットの世界で遊び始め、中学生の頃にはブログを持っていました。
その当時から、書いている内容は日記なのです。
ただ、いつの頃からか、ブログで書くということに対しての意味を求められるようになってきたように感じています。
意味というのは、価値と置き換えても良いかも。
誰かが読んでタメになる記事か否か?みたいな。
広告収入とか、なにかしらの商品宣伝などの活動が絡んできているから、というのも大きいのかもしれません。
が、私が慣れ親しんできたただの日記を書いている場としてのブログの肩身がとても狭くなっていたように思っていました。
私も、アドセンスとか登録して、少しでも何かしらの足しになったらいいな~的な事を考えてブログを書いていたこともあります。
が、それって私からすると楽しくないのです。
もちろん、誰かのタメになる記事というのも、それにはそれの価値があるのだと思うし、書き上げるのにそれ相応の労力が要るのだということも分かっているつもりです。
それが単純に私には合わなかったのだと思います。
そう、ただそれだけの事。
書くことが大好きな私が、書くことから遠のきたくなるように感じるのも、単純に書いていて楽しくないからなのかな、と。
それに比べると、誰の役に立つでもない、需要なんてないであろうなんでもない日々の事を書き連ねる雑記(日記)は、とても楽しいものなのです。
ゆるくいこうぜ。
ただの雑記(日記)って、誰かの為に書いているというよりは、ある意味自己満足的な部分が大きいんだと思います。
私の場合は、書くことがそもそも好きなので、それが第一。
そのついでで、「誰かの目に触れたら嬉しいな~」とか、「何かしらの反応がもらえたらもっと嬉しいなぁ~」みたいな。
だから、日々のアクセス数を見るだけで嬉しいし、スターとか頂けると嬉しい。
コメントなんて来たらニヤニヤしながらお返事考えて書いてます。
それくらいの熱量。
それを考えると、ブログで収入を得ようと考えた私は「だいぶ頓珍漢だったのかな?」とも思いますね。
もちろん、好きな事が生活に繋げられれば幸せだけど、お金のためにブログを書いているわけじゃないので…。
という、とんでもない矛盾。
でも、公式のブログを見てみると、そんな誰の為でもない純日記を楽しく読んでくださる方がいるのですよね。
というか、そもそも私もそういうブログを読むのが好きなので、気持ちはとてもよく分かります。
タメになる記事も確かに有難いけど。
なんでもない誰かの日常を覗き見ることのできる楽しみって、純日記的なブログでしか味わえないものだし。
YouTubeでもVlog動画とか流行ってましたが、それもそういうことだよね。
誰かの何気ない日常が面白くて、ふいにちょっと元気が出たり、勇気づけられたり…。
そういう温度感が、私も好きです。
純日記。
純日記というタグがあるそうなので、これからは私も利用していこうと思います。
このブログでは雑記とカテゴリーに括っていますけど、そもそもその仕分けもかなり曖昧。
ここに書かれている物は全て雑記であり日記なのでね…。
純日記というタグから来てくださった方々に少しでも楽しんでもらえたら、嬉しい限りです。
そもそもゆるーいブログなので。
最近はモンハンのこと書きがちですけど…。
なんの気構えもなく来ていただけたら嬉しいなぁ。