「書こう」と思いつつ、ずっと書けないでいたことがあります。
別にわざわざここに書く必要もないのかもしれませんが、一応、必要最低限でも触れておこうと思い、書き始めています。
多分、まだ上手く書けないでしょうが、そのままに書いていこうと思います。
お墓参りに行ってきました。
祖母の話
週に1回、父方の祖母の家に行くのが私の日課でした。
そもそもずっと暮らしていた家。
私がネフローゼで入院し、退院後に母の家に移るまで暮らしていた、私の実家です。
祖父が特養に入所してから、1人暮らしになった祖母。
それでも毎日忙しく、楽しそうに生活していたように思います。
そんな祖母が体調を崩したのが、昨年末でした。
1ヶ月ほどの入院の後、退院し、これから体力をつけて少しずつ元の生活に戻ろうというような話は、以前にブログに書いたような記憶があります。
そんな祖母が気になって週に1回祖母の家に足を運んでいた私。
その日もいつも通り、朝一番に祖母の元へ向かい、会話をしました。
それが、祖母との最後のやり取りになってしまったのですが。
バタバタと忙しくしていたのは、祖母の葬儀などがあったためです。
その期間は、ブログも簡易更新でした。
それでも、取り繕いながらもそうして生活していた自分に驚いています。
ずっと、祖母が居なくなってしまったら、私は生きていけないと思っていたから。
そんな私が、普通に生活をしています。
誕生日を迎え、歳をとりもしました。
普通に談笑し、日々の暮らしを送りながら、埋まらない穴を抱えています。
ずっと暮らしてきた祖母の家は、誰も居ない家になってしまいました。
それでも用事があるので、週に1回は足を運んでいます。
向こうの家の猫たちは、叔母さんの協力を得つつ、祖母の家にて暮らしています。
そんな猫たちの様子も気になるので、祖母の家に足を運んでいるのですが、とても居心地の良いものとは思えません。
祖母の居ない家があんなにも寂しいものになるとは…と痛いほどに感じています。
そのため、長居が出来ず、用事を済ませると早々にこちらに戻ってきてしまっているのですが。
祖母の家にいる時も、お墓参りをしていた時も、こちらの家に居る時ですら、涙がこぼれます。
悲しい思いも寂しい思いも、薄まることなく在り続けていて。
それでも、日々生活しています。
別れというものがこんなにも苦しいものなのだと、初めて実感している毎日です。
祖母へ何一つ恩返しが出来なかった事が悔やまれます。
最期に近くに居ながら何も役に立たなかった事も。
涙って枯れることがないのだと、身をもって学んでいます。
ブログでもたびたび祖母の話をしてきました。
これ以降、楽しく祖母のことを語れる時がくるまでは、祖母に関しての話題はなくなるでしょう。
いつか楽しい思い出話としてブログに書くことが出来たら、私も嬉しいです。