
あんまりにも悲しい回だった、べらぼう31話。
タイトル回収よりも、ふくととよ坊の死が衝撃的すぎました。
天とは、
タイトルで書かれている『天』
前回から見ていると一橋治済を指しているように感じますが、31話を見終えると徳川家治のことなのだな、と。
家治と家基と…。
源内先生もこの天の内なんだろうなぁと見ていて感じました。
人を思うままにコントロールしたいという欲望を持つキャラクターって、創作で描かれますけど、一橋が厄介なのってそれが可能な力を持っていることですよね。
ただの空想や妄言ではなく、実行できてしまう。
ここまで見ていて感じるのは、怖い人物というよりも厄介な人物という印象です。
さびしいね
家治は、意次がすでに老中の職を辞していることを知らなかったんですよね。
だから、「田沼の言うことをちゃんと聞くように」と西の丸に言っていた。
意次が老中の職を離れたのは、家のため・自身のためというよりも、もう家治が回復しないと言うことを察したからなのだろうと私は解釈しています。
この2人、立場は違えどお互いを理解し合った、良い関係性でしたね。
家治が最期まで言っていた「守らなくてはいけないもの」って、意次のことだったんじゃないかと思っているのですが、どうなんだろう?
意次は、源内先生も意知も家治も失って、「心が折れてしまわないかな?」と心配です。
みんな、意次より年下ですよね…。
あの時代、自分よりも年若い人が居なくなることが特別珍しいことではなかったのかもしれませんが、でも、年老いた自分が残るということは頭に浮かんでしまうんじゃないだろうか。
かすむ天
家治の最期の場面は衝撃的でした。
でも、それ以上に衝撃だったのが、ふくととよ坊の死。
放送後にネットでは様々言われていますよね…。
『フィクションの人物であるこの2名をこんなふうに描く必要性があったのか?』とか。
正直、とんでもなく胸糞だなとは思いました。
2人を殺したのが、妻と幼い子供がいる貧しい男だったというのが、一番イラっとした。
というか、個人的には理解に苦しみました。
飢えていて食べるものが欲しいというところから、狂気に走る…という流れはわからないでもないんです。
それで、ふくを傷つけてしまうとか、死に至らしめてしまう…というのも、まぁわかる。
けど、「とよ坊を殺す必要性はあったのかな?」と。
だって、あの男にも同じ年頃の子供がいたじゃん。
あの男は、ただの男ではなく、父親だったわけです。
自分の子供が可愛いと感じているのなら、同じように子を抱くふくに暴力を振るうなんてできないだろうし、たとえ泣いたとしてもとよ坊を殺すなんて選択はできないのでは?と思ってしまう。
だから、ものすごく酷い見方かもしれないけど、あの男は自分の子供も煩わしいって思ってたんじゃないかな?
自分が食べるものもなくて、妻は子供にかかりきりで、泣き声はうるさくて…。
それらを全て解決する方法が、米を手に入れることだった。
だから、2人を殺したんじゃないでしょうか。
貧しさは人を蝕むのかもしれないし、それを描くための2人の死だったのかもしれません。
けれど、正直あのシーンがドラマの最後にあったことで、家治の死がかすみました。
「あれは何だったの?」と思うくらいに、こちらのシーンの衝撃が大きくて。
ふくもとよ坊も天に含まれるのだろうから、タイトルとしては嘘じゃないのでしょうけど。
大河でこんなに胸糞展開かぁ〜って思ってしまうのが、しんどいなぁ。